3回生の中村です。

前回に引き続き、相内啓司先生へのインタビュー内容をまとめました。

制作に向き合う姿勢など、とても勉強になりました。

 

前回記事「もっと自由に。♯01」はこちら↓

http://seika-eizo.com/2441

 

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それにしても、広告ってけっこう大変な仕事でね。

別に興味もない商品に全力かけてクリエイティブしなきゃいけない

その感じがばかばかしいなって思っちゃって。

こんなエネルギー使って自分がやりたいことをできないっていうのが辛くて、

そんなことで自分の人生終っちゃったらたまんないって思ったんだよね。

 

だから、そこでちゃんと〝アート〟をやりたいと思って。

 

それと大学の時に自分は本当はこういうことが知りたかったんじゃないか

って思うことが一旦社会に出ると分かるわけ。

当時は僕もまだ25、6歳だったと思うんだけど、

そんな僕が感じたことを今の学生にも伝えてあげたいと思ったんだよね、生意気にも。

それで教える仕事をしたいなと思って。

中学の先生とか美術の先生とか。

また藝大に聴講生で入り直して教員免許を取りました。

だけど免許を取ったら取ったで待てど暮らせど採用の通知が来ないんで

始めは大変だったんだけど、

そうこうしてるうちにたまたまある専門学校から声がかかって。

そこからは専門学校で教えながら、フリーランスでデザインの仕事やったり、

マンガ描いたりPR映画撮ったりしていました。

 

そのうちその学校も現場の叩き上げの人ばかりが先生になってて

技術面では長けてるんだけど、

行動になんの論理性もないような人間が増えてきちゃって。

 

もう少しアーティスティックな感覚で学校をつくり直そうと思って、

自分がプロデュースしていろいろと変えていったの。

 

これからの時代は考え方とかディレクション能力とか実際の技術の勉強と平行して、

企画力とかプレゼンテーションとかを中心とした授業を

組み立てていかなきゃいけないと思ってた。

 

 

− 専門学校の先生から大学の先生になろうと思ったきっかけはありましたか?

専門でも実験的なアニメーションとかビデオアートとかやってたので、

学生作品をとにかく外に出して行こうと思って

今で言うICAFみたいなイベントにどんどん出品させていったの。

それも生徒の作品の解説コメントは全部自分が書くようにしたんです。

そのコメント書く時も戦略としてけっこう哲学的に書こうとか、

映画理論の最先端使って書こうとか、

他の学生の作品とかのコメントを見ていてもずっと面白くないなーと思ってたので。

よく頑張りましたとか、この子らしいだとか

そういう情緒的な感想文みたいなものが多かったので、

ちゃんと理論的に書こうと思ってました。

 

− 精華大学に来られるようになったきっかけをお聞かせください。

前に専任として務めていた東京の大学が凄い権威主義の大学で

ずっと嫌だなと思ってたんです。

その時にちょうど精華で教員の公募があったから

そこを受けて受かったから来たという感じです。

 

− 京都に魅力を感じていた、というようなことはあったんですか?

京都はぼんやり良さそうだなとはずっと思ってましたね。

あそこでいつか仕事が出来たら良いなと思ってた。

あと一番の理由はやっぱり「自由自治」っていうスローガンだよね。

ここに惹かれるものがあった。

今では形骸化してしまってる部分が多少あるけど。

学生運動の時代を過ごした僕にとっては、

あの「自由自治」という言葉は胸に刺さるものがあったんです。

それで面白そうな学校だなと思って。

 

あ、そうそう。

なんでこの展覧会をやるかってことなんだけどね。

京都に来て今年で10年目なんですが、その間一度も個展をしていなかったんです。

東京や韓国、中国とかでは何度かやったりしてたんだけど。

精華に来た当初は映像コースが学級崩壊状態だったから(笑)

それどころじゃなかった。

 

 

− 映像コースにそんな時代もあったんですね。

うん。

みんな知らないと思うけど。

その対策としてカリキュラムを変えたり、

今でいうアドミッションポリシーを考えたりだとかいろいろ一生懸命になり過ぎちゃって、

っていう口実で自分のことを少しさぼってしまったんです。

その間も舞台とかはいくつかやってたんだけど

それはコラボレーションだからどうしても専門家に委ねなくてはいけない部分が多かった。

コラボレーションというのは名ばかりで、

どこかお手伝いみたいな感じになってしまってて。

 

ずっと個展をやりたいと思ってたんです。

自分は先生なのに学生にちゃんと見せられてなくてまずいなと思ってた。

 

 

− 生徒としても先生方の学生時代や今の私たちの年齢の時に

どんなものをつくっておられたんだろうという興味はあります。

観てがっかりされたらどうしようっていう不安も正直あるけどね。

 

 

− 生徒に対して技術だけじゃなくて思想性も

大事にしてほしいとおっしゃっていましたが、

個展を通して若い作家たちに伝いたいメッセージはありますか?

とにかく色んなものに興味を持っていて欲しい。

いつも思うのは学生の時には凄く意欲があって面白い作品をつくるのに、

卒業して5、6年経つとただのおばさんとかおじさんになっちゃってて

なんだか寂しいなって思ったりするわけ。

こんな凄い仕事したんですよ!とか、子どもできました!

という報告はよくいただくんだけど、それって仕事でしょ?生活でしょ?ってことなんだよ。

それぞれが一生懸命で面白いと思えてるならそれで良いんだけどね。

僕からしたらちょっと寂しいなって想いがあるんですどこかで。

 

やっぱり〝表現〟って凄く大事だし、〝表現〟する人がいないと

世界がつまんなくなっちゃうから。

 

みんな政治的とか経済的とかファッションとか沢山ジャンルがあるけど、

そういうのが皆誰かが同じ方向向くように仕向けちゃって、皆同じ方向向いて、

皆同じふうになっちゃってっていうのがつまらないと思う。

世界が貧しくなってしまうでしょ、どうしても。

だからこんな考え方あるんだとか、こんな見方があるんだとか、

こんな表現の仕方があるんだとかっていうこともっと感じてほしい。

 

芸術っていうのはそういう道が拓かれてるから面白いんだよ。

 

そこをやっぱりどこかで覚えてて、やってって欲しいなって思う。

もっとそういう意識を持つだけでも良いんだけど、

余裕ができたら多少行動に移してみるだとか。

そういうことを続けて欲しいなって思うわけです。

 

だからあんまり人のこと気にしないで。

 

それぞれが違うから意味があるし、

さっきも言ったけどみんな同じになっちゃうと面白くないから。

普通の社会ではみんなが同じことを同じように思って、

同じようなことを集団的にやるっていうのが日本では美徳とされたり、

それで社会が成り立ってるみたいなところもあるけど。

 

唯一、みんなと違うから価値があるって言うのはやっぱりアートの世界なんだよ。

みんな同じだったらこの世界なんて必要ないから。

 

アートの道はそこに拓かれてるからこそ興味を持って入ってくる者が居るだろうし、

別に勉強なんか出来なくったって良いし、もちろん出来ても良いんだよ?(笑)

そういうもっと違った価値観でいろんなふうにモノを考えたり、

見られたりとか行動出来たりとかするようなことを出来る人になってって欲しいなと思います。

確かにいろんな人を見て、例えば町の職人さんだったり、

料理人だったりいろんな職業の人がたくさんいるけどみんな賢いなって思う。

仕事をきっちりやって、それで食べていこうって決めて、

その世界ならではの技術だとかノウハウを持ってて、本当に尊敬する。

そんな人たちに比べちゃ自分なんて何も出来ないんじゃないかって

思ったりもするんだけどね。

でも僕はそれが出来なくても良いからもう少し自由に生きていきたいって思ったんです。

 

僕の思う〝自由〟がそこにあったっていうだけなんだけども。

だからみんなもそうやって感覚で生きようと思ったら生きづらいところが

多少なりとも出てくると思うんだけども、

ゆっくりで良いからそんな感じで続けて欲しいな。

いずれは歳とって死んじゃうからね。

その時にみんなと一緒の感覚でやれて良かったねって

いうふうなのも良いのかもしれないけど、

なんかどっか違って良かったってそういう方が良いんじゃないかなって思う。

 

コンペなんかで入選した、しなかったとかで偉くなったような

気になっちゃうのかもしれないけどそんなことどうでも良いんだよ。

評価を求めるんじゃなくって、

どれだけ自分に自由でいられるかっていうのでやってけばいいんだよ。

 

 

− 最後に、今回の個展の魅力やこだわりのポイントがあったら教えてください。

相原信洋 追悼アニメーションは観てほしいなって思います。

あと、Gallery Mainでやってる「重力の光景」という

インスタレーションはいろんなアーティストが

参加してくれている作品なので注目して見てほしいです。

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ただ石を拾って送るっていうことが世界に広がって、

世界の片隅にあった出来事とかエピソードとかが集まってきて

それがSNS上で確認出来たりして。

 

それを見た人がその土地や話に思いを馳せるっていうのがなんか良いでしょ。

京都で見ると平行線上にしか見えないんだけども、

実際にはその石たちは地球上のいろんな所にあったわけで。

 

それらは地球の中心に引っ張られて、まぁ遠心力の影響で少しずれるんだけど、

中心に向かって石が引き寄せられるっていうのを

想像してみるっていうのがワクワクするでしょ。

 

一個の石を見ながら世界をイメージしてみる。

その石はもしかしたら隕石だったかもしれないし、

地球自体がそういうのが集まって出来た星だから。

それが溶けてマグマになったり、また地表に出てきたりとかして、

大きな石が崩れてまた小さな石になったりだとかね。

川とか海で波に洗われて丸くなったりしながら、

それぞれの場所にそれぞれの時間であるわけでしょ。

それがまた何十年とか何千年とか経つと砂粒になってるかも分からないし、

またもしかしたら堆積岩みたいになってるかもしれない。

そういうようなことを想像してみると、

自分の中の世界が凄く拓かれていくような気がするんです。

今の一瞬の姿はこうだけども、

何万年後にはどうなってるか分からない、とかね。

元はどうだったんだろうとか。

 

自由に想像してみることを愉しめるような作品だったら

きっと面白いかなと思って制作しました。

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− さまざまなことを自然と考えるきっかけになりそうで愉しみです。

ありがとうございました。

 

相内啓司個展「重力の光景」詳細:http://seika-eizo.com/2350